東京の歴史:東京期

東京市15区 東京の歴史
東京市15区
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1867年、江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜は大政奉還を行い、政権を明治天皇へ奏上しました。

1868年、討幕派の主導により王政復古の大号令が明治天皇より発せられ、徳川慶喜の将軍職辞職、江戸幕府の廃止等が決められました。これに不満を持つ旧幕府軍は鳥羽・伏見の戦いを起こしましたが敗北、徳川家の菩提寺であった上野の寛永寺に謹慎していた慶喜の元に集結し彰義隊を結成しました。江戸城が無血開城され、慶喜が水戸へと退去した後も彰義隊は上野寛永寺に残り、新政府軍との上野戦争が勃発、彰義隊は壊滅し、上野寛永寺は焼野原と化しました。

江戸は東京と改称され、元号は明治と改められ、江戸城は東京城、明治天皇の城・宮城となり、東京は名実ともに日本の首都となりました。
1871年の廃藩置県に伴い東京府が設置され、1878年には江戸の中心部だった市街地を東京15区(麹町区、神田区<現在の千代田区>、日本橋区、京橋区<現在の中央区>、芝区、麻布区、赤坂区<現在の港区>、四谷区、牛込区<現在の新宿区の一部>、小石川区、本郷区<現在の文京区>、下谷区、浅草区<現在の台東区>、本所区<現在の墨田区の一部>、深川区<現在の江東区の一部>)とし、周辺の江戸四宿だった宿場町と農村部に6郡(荏原郡、南豊島郡、東多摩郡、北豊島郡、南足立郡、南葛飾郡)を置きました。そして1889年には、東京15区の区域をもって東京市を設置しました。
江戸時代直後に定められたこの東京市15区が、かつての実質的な江戸市街だったと考えてよいでしょう。現在の千代田区と隣接5区、及び明暦の大火以降に開発された隅田川以東の2区(かつて「川向う」と呼ばれた2区)が、江戸時代から昭和半ばまで江戸そして東京の中心部でした。

1873年、上野戦争で焼野原となった寛永寺の大部分は上野恩賜公園となり、浅草寺の浅草公園、増上寺の芝公園、富岡八幡宮の深川公園、飛鳥山公園と共に、日本最初の公園に指定されました。

1872年、日本で最初の博物館・文部省博物館が湯島に創立され、1882年に現在の上野公園に移設され東京国立博物館となり、日本最古にして最大の博物館となりました。
1877年には、同じく文部省博物館から分離した東京博物館が上野公園に移設され、現在の国立科学博物館となりました。
以降、上野公園には多くの博物館・美術館等の文化施設が設立され、東京の文化の中心地となっていきました。

同じく1877年には、日本で最初の内国勧業博覧会が上野公園で開催されました。1881年には第二回、1890年には第三回がいずれも上野公園で開催されました。

1882年、日本で最初の動物園である上野動物園が開園しました。
日本で最初の遊園地である浅草花やしきは、江戸末期の1853年に植物園として開園していましたが、昭和初期までは動物園としても知られていました。日本最古のローラーコースターも現存しています。

1888年、日本最初の喫茶店「可否茶館」が上野に開業しました。その後浅草などにも喫茶店ができはじめ、1911年には銀座にも喫茶店が出来ました。そこには文化人たちが集い、社交場として栄えました。

1890年、日本初の10階以上の建物である凌雲閣が浅草に建てられ、「浅草十二階」と呼ばれ親しまれました。当時の日本で最も高い建築物で、日本初の電動式エレベーターを備えていました。1923年の関東大震災で崩落するまで、東京で初めての日本一高い建築物でした。

1923年の関東大震災で東京市の市域全面積の43.6%が焼失し、約10万人もの死者が出ましたが、帝都復興計画により東京市は大きく生まれ変わりました。
区画整理が行われ、東京市中心部を南北に縦断する第一号幹線昭和通り・それに交差して東西に横断する第二号幹線大正通り(現在の靖国通り)を中心部の十字の軸とし、永代通り・晴海通り・江戸通り・明治通り等の多くの幹線道路、隅田川六大橋(言問橋・駒形橋・蔵前橋・清洲橋・永代橋・相生橋)等の多くの橋、三大公園(隅田公園・浜町公園・錦糸公園)等の多くの公園、上下水道、小学校、病院築地市場等の中央卸売市場などが整備されました。

日本で最初の映画館は1903年、電気館が浅草に設立されました。以降、浅草六区は日本の映画興行の中心地となり、多くの演劇場や娯楽施設が立ち並び、昭和初期にかけて日本一の歓楽街・興行街として繁栄しました。
1937年には浅草国際劇場が完成、当時は「東洋一の大劇場」と呼ばれ、松竹歌劇団を始め、恒例の美空ひばり正月公演等、ここでの公演は当時の大スターの証でした。

また大正から昭和にかけて、銀座が大きく発展しました。1872年に日本初の鉄道が横浜駅・新橋駅(現在の汐留駅)間に完成したのに伴い、西欧から運ばれてくる舶来品を扱う店が新橋駅近くの銀座に出始め、西欧風の街並みとなり、大正時代には「銀ぶら」という言葉も流行し始めました。街路樹には柳が植えられ、後に東京音頭でも歌われる「花(桜)は上野/柳は銀座」が定着しました。
1910年には有楽町駅が開業しました。
1923年の関東大震災後には、松坂屋、松屋、三越が相次いで開店、日比谷には映画街が開発されました。
1933年には日本劇場(現在の有楽町マリオン)が完成、日劇ダンシングチームや日劇ウエスタンカーニバルが人気を博し、浅草国際劇場と共に60年代までは東京を代表する二大劇場でした。
また1934年には東洋初の地下鉄が浅草駅ー上野駅間から延伸し日本橋駅・銀座駅まで開通、当時日本一の繁華街であった浅草や上野の客が銀座にも流れて来るようになり、大きく発展しました。
戦後1957年には銀座線に加え丸ノ内線、1963年には都営1号線浅草線、1964年には日比谷線と、東京オリンピックまでに出来た当時の地下鉄4路線が全て銀座エリア(浅草線は東銀座)を通ることになりました。

明治天皇崩御後の1920年、明治神宮が創建されました。当時は東京市外であった東京府豊多摩郡の広大な代々木の原野に人工林を植樹し作られました。

1935年、永田町に国会議事堂が完成し、当時の日本で最も高い建築物になりました。

1932年、東京市は市域を拡張、近隣の5郡82町村を編入して新たに20区を置き東京35区となり、「大東京」となりました。1936年には北多摩郡砧村・千歳村を世田谷区へ編入し、現在の東京都区部の範囲が確定しました。
1943年、東京市と東京府は廃止され、東京都が設置されました。
1947年に東京35区を東京22区に再編、板橋区から分離して練馬区が成立、現在の東京都区部・東京23区となりました。

江戸時代から明治・大正・昭和初期にかけて、東京で最も人口が集中していたのは浅草です。
第2次世界大戦時の東京の人口も浅草区の13万5000人が最大で、次いで本所区・神田区・下谷区・荒川区・日本橋区等でした。
1945年の東京大空襲では、これらの地域が主な標的になりました。約10万人もの死者が出ました。

戦後、極度の食料不足から自然発生的に各所に闇市が生まれましたが、中でも上野で1950年頃から「アメリカ横丁」と呼ばれ出した「アメ横」はその後大いに賑わい、現在も東京を代表する商店街のひとつとなっています。
1955年には、現存する日本最古の地下商店街が地下鉄の浅草駅に生まれ、現在も賑わっています。

「もはや戦後ではない」と経済白書に書かれた2年後の1958年、芝に東京タワーが完成、当時自立式鉄塔として世界一の高さの333mを誇り、戦後の日本復興と高度経済成長のシンボルとなり人々を勇気づけました。

スポーツでは、1903年に大隈重信創設の早稲田大学と福沢諭吉創設の慶應義塾大学による野球の対抗戦・早慶戦が始まり、東京六大学(早稲田・慶應・明治・立教・法政・東大)野球リーグへと発展しました。土日に明治神宮野球場で試合が行われ、プロ野球が始まるまでは日本野球の中心的存在でした。日本野球史上初の始球式も、アメリカ大リーグ選抜との国際親善試合も、日本初のナイターも、早稲田大学の戸塚球場で行われました。
1936年、東京巨人軍らによるプロ野球が開始されました。東京におけるプロチーム同士の初試合は早稲田大学の戸塚球場で行われましたが、1937年後楽園球場が小石川後楽園の隣りに建設され、巨人軍の本拠地となりました。
1950年には国鉄スワローズ(現在のヤクルトスワローズ)が加盟し、現在東京には2つのプロ球団があります。

鉄道に関しては、遡ること1872年、東京市と横浜港を結ぶ日本初の鉄道が新橋駅(現在の汐留駅)・横浜駅(現在の桜木町駅)間に開業しました。
新橋駅の南から品川駅付近までは、海上に堤を築き、当時の海岸線に沿って線路が建設されました。
品川駅は東京市の最南端に、東海道の宿場町だった品川宿を避けて北付近、現在の品川区ではなく港区の南端の海を埋め立てて建設されました。

1883年、日本初の民営鉄道会社・日本鉄道が設立され、上野寛永寺の子院跡地に上野駅を開設、群馬県の富岡製糸場の生糸輸送を始めとする物流の拠点として、北日本と東京市を繋ぐ始発駅として開業しました。

1885年、日本鉄道は品川駅・渋谷駅・新宿駅・赤羽駅間を開業しました。当時日本鉄道の南端は上野駅、国有鉄道の北端は新橋駅で、この両駅を結ぶのが理想的でしたが、両駅間の地上部分は東京市の中心部で市電や建物が密集しており敷設が困難だったため、当時は過疎地だった東京市外の西方に沿って渋谷駅・新宿駅を開設したのでした。

1889年、新橋駅と京都駅・大阪駅・神戸駅を繋ぐ国有の東海道線が開業、西日本と東京市が繋がりました。

1903年に日本鉄道は東京市外の西方に池袋駅を開設、池袋駅・田端駅間を開業、1906年には日本鉄道が国有化され、1919年に新橋駅・東京駅間を開業、そしてついに1925年、東京駅・上野駅間を開業し、現在の環状運転が開始され、山手線が完成したのでした。
当時山手線の駅で東京市内だったのは現在の台東区から千代田区・港区の品川駅までで、それ以西から日暮里駅までは東京市外でしたが、その後その沿線地域は大きく発展していき、山手線が東京の中心部を形作っていきました。

地下鉄では1927年、日本初のみならずアジア初の地下鉄が、当時の東京の二大繁華街であった浅草駅・上野駅間に開業しました。1939年には渋谷駅まで繋がり、後に銀座線となりました。
戦後の1954年には、丸ノ内線の池袋駅・御茶ノ水駅が開業、1960年には都営1号線(後の都営浅草線)の押上駅・浅草橋駅間が開業、1961年には日比谷線の南千住駅・仲御徒町駅間が開業、1964年の東京オリンピックまでに地下鉄4路線が開業しました。

大手私鉄では、1897年に東武、京成、1899年に京急、1905年に京王、1912年に西武、1922年に東急、1923年に小田急が開業しました。

山手線内部に地下鉄網を張り巡らせた東京地下鉄以外の東京の大手私鉄7社は、主に山手線の駅をターミナル駅とし、東京市外部に伸展していきました。山手線外で浅草駅は東武、山手線の6大主要ハブ駅で上野駅は京成、品川駅は京急、新宿駅は京王・西武・小田急、池袋駅は東武・西武、渋谷駅は京王・東急のターミナル駅として、電鉄系百貨店等の商業施設を開業するなどし、それぞれ発展していきました。

関東大震災で鉄道が壊滅的被害を受けたことにより、飛行機による物資輸送の重要性が高まり、1931年日本初の空港・東京飛行場(現在の羽田空港・東京国際空港)が東京府荏原郡の南端に開港しました。

1964年に日本初のオリンピック・東京オリンピックが開催されることになり、それに合わせて地下鉄以外にも東京のインフラはさらに大きく発展を遂げました。

1962年には首都高速道路が開通、国道も整備されました。
そして1964年には、東海道新幹線が東京駅・新大阪駅間に開業しました。
また、日本武道館、国立代々木競技場、駒沢オリンピック公園も新たに作られました。

地下鉄も、東京オリンピック以降さらに増え続け、1964年に東西線、1968年に都営三田線、1969年に千代田線、1974年に有楽町線、1978年に半蔵門線、都営新宿線、1991年に南北線、都営大江戸線、2004年には営団地下鉄が東京メトロになり、2008年に副都心線が開業しました。

1958年、新宿・渋谷・池袋は、東京都心の機能分散を目的に、首都圏整備計画で副都心に指定され、以降東京三大副都心となりました。

1964年の東京オリンピックまでは、山手線の東側エリアの浅草、上野、日本橋、銀座等が東京の主要な繁華街でしたが、東京オリンピック以降は、山手線の西側エリアの新宿、渋谷、池袋が大きく発展し始めました。
1970年から始まり現在も続く地価公示で、国土交通省は東京都区部を都心部・南西部・北東部に分け、「区部都心部とは、千代田区、中央区、港区、新宿区、文京区、台東区、渋谷区、豊島区の各区」であるとし、江戸時代からの中心部であった千代田区とその周辺5区に新たに渋谷区・豊島区を加えた都心8区が東京都心部であると定義しています。

1970年には、東京で初めての大規模な歩行者天国が、浅草・銀座・新宿・池袋で開催されました。1973年からは、上野から秋葉原・日本橋を経て銀座に至る中央通りで、当時世界一長い5.5kmにも及ぶ歩行者天国「ジャンボプロムナード55」が毎週日曜に行われ、初日には114万人を超える賑わいとなりました。

1919年、中央線が新宿駅から東へ延伸し東京駅に繋がると、中央線・総武線は西は多摩地域から東は千葉まで、新宿と東京を起点として大きく東西を繋ぐ路線が完成しました。1925年には現在の山手線の東京駅・上野駅間が開業し現在の環状運転が開始されると、東京の都心を回る山手線、東京の東西を多摩から千葉まで繋ぐ中央・総武線、東京の南北を神奈川から埼玉まで繋ぐ京浜東北線という東京圏の巨大ネットワークが完成したのです。

また関東大震災で東京市内の密集した中心部が大きな被害を受けると、次第に東京市郊外の新宿・渋谷・池袋への移住が加速していきました。
そして1931年に新宿駅は、東京市外にもかかわらず、一日あたりの乗降客数が東京駅を抜いて日本一に達したのです。
また戦後の高度経済成長に伴う東京圏の拡大に伴い、東京市郊外、多摩地域、神奈川、埼玉の郊外人口が増加し、その出入口となった新宿・渋谷・池袋の乗降客数はさらに増加していきました。

1932年、新宿駅のあった淀橋町が東京市に編入され淀橋区となり、1947年に四谷区・牛込区と合併し新宿区となりました。
新宿駅東口には、1930年に日本橋の三越が新宿に出店(現在のビックカメラ)、1933年に神田の伊勢丹が新宿に出店、東京オリンピックの年1964年には京王百貨店、1967年には小田急百貨店が開店しました。
戦後出来た歌舞伎町に、1956年には新宿コマ劇場(現在の新宿東宝ビル)が完成、新宿のシンボルとして人気を博しました。
戦後の闇市からゴールデン街も生まれました。

新宿駅東口に比べて開発が遅れていた西口の淀橋浄水場跡地には、1968年に新宿中央公園、1971年に京王プラザホテル、1974年に新宿住友ビルディング、新宿三井ビルディングが相次いで建設され、それぞれは当時日本で最も高い建築物でした。1991年には東京都庁第一本庁舎が完成し都庁が丸の内から移転、当時日本で最も高い建築物となりました。丸の内の旧都庁舎跡地は1996年に東京国際フォーラムとなりました。

渋谷では、1923年の関東大震災までは品川、深川と共に火力発電所が稼働していました。1932年には東京市に編入され渋谷区となりました。東京オリンピックで代々木選手村として使用された場所は、1967年に代々木公園として開園しました。
1961年にセンター街ができ、1967年に東急百貨店本店、1968年に西武百貨店渋谷店、1973年に西武の渋谷PARCO、1979年に東急のSHIBUYA109が開店、またNHKはオリンピック中継のため使用した渋谷の施設を発展させて本部を千代田区から移転させました。
西武のパルコ、東急の109は若者に人気となり、渋谷を若者の街にしていきました。

池袋は、1932年に東京市に編入され豊島区となりました。1933年に西武百貨店の前身が開店、1958年に池袋PARCOの前身が開店、1962年に東武百貨店が開店、また1978年に巣鴨プリズンの跡地にサンシャイン60が完成、当時日本で最も高い建築物となりました。

東京の繁華街の中心地が新宿・渋谷・池袋に移って以降、浅草・上野はかつて程の賑わいはなくなっていましたが、1982年に墨田区の錦糸町・江東区の亀戸、品川区の大崎と共に副都心に追加され東京六大副都心となり、再び賑わいを取り戻し始めました。

他にも、多くの街がそれぞれ大きく発展していきました。

1920年に明治神宮が出来て以来、その最寄り駅となった原宿駅には来訪者が集まるようになりました。
1978年にラフォーレ原宿が開店、その後も若者向けのショップが次々に開店し、80年代には竹下通りに多くの若者が集まるようになりました。
明治神宮の表参道として整備された道は、そのまま地下鉄の駅名となりました。
関東大震災後に復興住宅として建設された日本最初期の近代的アパート同潤会青山アパートメント(現在の表参道ヒルズ)は、1927年に完成しました。

1890年、上野駅から鉄道が延伸され、火除地となっていた空き地に貨物駅として秋葉原駅が誕生しました。駅は秋葉神社(現在は台東区松が谷に移転)の跡地に建てられ、「秋葉の野原」に由来する「秋葉原」という駅名が付けられました。
戦後、ラジオ部品を扱う闇市が集まり、次第に多くの電器店が集結するようになりました。「三種の神器」といわれた「白黒テレビ・電気冷蔵庫・電気洗濯機」の大ヒットや、松下・ソニー・東芝・日立等の日本の電気機器メーカーの大躍進に伴い、また東京の大繁華街であった浅草・上野から神田の間という地の利も活かし、秋葉原は日本一の電気街として発展していきました。
2000年頃からは、ゲーム、アニメ、アイドル等の「オタク」系の店が増え出し、秋葉原はサブカルチャーの聖地としての面が強くなり始めています。

江戸時代の明暦の大火後に築かれた築地は、1923年の関東大震災後の復興計画で、震災で焼失した日本橋魚河岸が移転してきたことによって、1935年魚河岸の町として生まれ変わりました。戦後は、「東京の台所」といわれ世界最大の水産物流通量を誇る築地市場となりました。
2018年に豊洲へ市場が移転した後でも、築地場外市場は魅力的な飲食店に溢れ賑わっています。

1981年から開始された東京国際マラソンは、2007年からは東京マラソンとして、世界6大マラソン大会のひとつとなりました。新宿・秋葉原・上野・日本橋・浅草・銀座・芝・皇居等々の東京都心の中心部をめぐるコースは、世界の一般ランナーからも大きな人気を集めています。

六本木・麻布周辺は、江戸時代には武家屋敷、明治時代以降は軍事施設の町でした。終戦後に軍事施設が連合国軍に接収されると、外国人向けの店が増え始めました。
1980年代には、六本木スクエアビルを中心としてディスコが数十軒が立ち並び、バブル経済の象徴として栄えました。
2000年代には再開発により六本木ヒルズ、防衛庁の跡地に東京ミッドタウン、2023年には日本一の高さを誇る麻布台ヒルズが建てられました。
国立新美術館、森美術館、サントリー美術館等の美術館も多く、都内では上野に次ぐ文化・芸術の街という側面もあります。
一方で六本木・西麻布周辺は、1980年代は金と欲が渦巻くバブルの象徴として、現在でも金と薬物にまつわる闇の深い地域としても知られています。犯罪件数では新宿・渋谷・池袋等には及びませんが、アメリカ国務省は歌舞伎町よりも前に六本木を「危険地域」として挙げている(especially Roppongi, Kabuki-cho, Shibuya, and Ikebukuro)他、イギリス大使館、オーストラリア大使館も危険地域として旅行者に警告を出しています。

1988年、後楽園球場の代替球場として、日本初の全天候型多目的スタジアム、東京ドームが完成しました。野球場としての他にも、コンサート会場として、日本武道館と共に東京を代表する場所となりました。

1988年に有楽町線の月島駅が開業すると、もんじゃ焼店が急増し、月島もんじゃストリートが出来ていきました。

1988年に有楽町線の豊洲駅が開業し、2006年にゆりかもめが豊洲駅まで伸びると、豊洲は新エリアとして人気を博すようになりました。
2018年には豊洲市場が築地から移転し開業、さらに多くの人が集まるようになりました。

恵比寿駅は、現在のサッポロビールの工場が「恵比寿麦酒」を出荷するための貨物駅として1901年に開業しました。工場の跡地が現在の恵比寿ガーデンプレイスに生まれ変わった1994年以降、周辺地域も発展していきました。

1993年、隅田川河口先の東京湾にレインボーブリッジが開通すると、1995年にお台場周辺の埋立地、台場・青海・有明エリアが臨海副都心として副都心に追加され、東京七大副都心となりました。新橋駅・有明駅間に新交通ゆりかもめも開業、次々と新しいビル・公園・施設が生まれ、一気に東京の新名所となっていきました。

2011年、東日本大震災が発生、東京都内でも震度5強を観測、また福島の原発事故により大きな影響を受けました。

2012年、世界一高い自立式鉄塔、東京スカイツリー完成しました。
634mの高さは、東京都のかつての名称、武蔵国の語呂合わせも考慮されています。浅草寺が創建された628年に因み、628mの案もあったと当時社長は語っていました。
最寄り駅の業平橋駅は、とうきょうスカイツリー駅に改称されました。業平橋は、在原業平に由来しています。さらにその前の1931年までは、業平橋駅は浅草駅という名称でした。
かつて江戸の浅草と芝に浅草寺と増上寺があって江戸を守護していたように、現代の東京の浅草と芝には東京スカイツリーと東京タワーが存在しています。

2016年、上野の国立西洋美術館は、「ル・コルビュジエの建築作品」のひとつとして、東京都で初めて世界文化遺産に指定されました。

2020年の東京オリンピックは、新型コロナウイルス感染症の拡大により、史上初めて延期となり2021年に開催されました。

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